脱オタ

最近、オタクに興味あります。というわけで、いまさらながら、「脱オタ」なのだ。



タイトルに(笑)をつけようかと思ったが、音楽雑誌クッキーシーンのようなキモさが出るのでやめた。ああ、そういやインディーポップ好きってオタくさいよね。80年代イギリスのアノラックとか。アノラックってのは、グラスゴー周辺のインディーシーンで、音的にはギターをシャカシャカ掻き鳴らすネオアコって感じ。代表バンドはPastels・Tallulah Goshとか。アノラック着てる連中が多かったのが、ここらのシーンをアノラックと称される理由。で、イギリスではアノラックってのは鉄オタの制服らしいね(笑)←クッキーシーン的に(笑)

話がそれた。
脱オタ関係のブログ等を見ると、もっぱらファッション関係の話題なので、ようするに、秋葉ファッションをやめて一般人(?)になろうという趣旨だろう。秋葉ファッション(Aボーイファッション)っていえば、イメージ的には、指貫グローブ、バンダナ、デニムベスト、ケミカルウォッシュのジーンズってとこだから、Aボーイ的にはアニメの主人公の少年か、格ゲーのキャラのつもりなのかな。ニセ加勢大周こと坂本一生なみのこだわりを感じるよ。もうひとつは、チェックのヨレヨレシャツ、太めのチノパン&ダンロップのスニーカー、お母様のチョイスに愛が感じられますね。ええ、男は服など買いに行ったらいけないのです。


とはいえ、オタクがみんなそういうわけではないし、前者はともかく、後者のほうは非オタクでもいるよね。そう、これは偏見ではないのかい?心にダムはあるのかい?ちなみに、ぼくの同級生にもオタクがいた。魔法陣グルグル(って何?)とかなんとかのオタクトークをところかまわずするから、みんなから引かれていた。しかし、見た目もよく、社交的でスポーツもできたから、オタク的迫害はされていなかった。これでもし、見た目オタクなら、間違いなく、迫害されていたんじゃないかな。つまり、オタ趣味ってのはマイナスポイント、プラス見た目オタクなら、はい、「きんもー☆
というわけで、見た目をなんとかすれば(脱オタすれば)、きんもー☆くなくなるのではないかと、これは合理的思考ですね。オタキング岡田斗司夫もダイエットしたしね。まだキモイけど。まあ、いうなれば隠れオタク、オタクゲリラ。もうひとつは、全人的オタクを捨て、彼ら言うところの「一般人」として生きる。その手始めがファッションってとこで、映画ナチュラルボーンキラーズで、過去の人生を捨てるように、橋の上から今までの服を捨てるシーンがあったけど、あれですな。オタク的転向?回心?
オタクからの反発は、やはり後者のほうだろう。オタクというモラトリアム、未熟なカルチャー(サブカルチャー一般は未熟なもんだ)に拘って生きていたのに、それを捨て、世間に擦り寄る許せんってかんじ。といっても、オタクカルチャーに限界を感じたら、迫害はなくても転向は起こりえるんだよね。オタクに見切りつけるってのも、ぜんぜんアリなんだけね。この手の人のほうが、ポストオタ趣味として、ファッションオタクになりやすいのかな。
もうひとつのオタクゲリラってのも、やはりオタクコミュニティーを不安定化させるのかな。オタクコミュニティーのルール以外の外部ルール(一般人のイケてる、イケてない、みたいな)をもちこむからさ。ま、オタクがつるんでるとして、いままでなら、オタク知識の深さとか、オタクコミュニティーを仕切るコミニケーション能力ってところに、ファッションという外部の権威ヒエラルキーを持ち込めば、オタク社会の生態系にインパクトを与えるんじゃないのかな。ま、ここら妄想だけど、おれオタク社会とか知らないし〜、でも、脱オタがオタクコミュニティーに留まりつつ、ファッションという点で周りのオタクを見下せば、外部の権威秩序に従うオタクコミュニティーメンバーと、それを認めないメンバーの間で軋轢が起こるってのは、あながち妄想じゃないんじゃないかな。



ところで、見た目無難にするだけなら、ユニクロかGAPに行けよ。店内でみかけた、比較的マシなやつと同じカッコしとけよ。と思うんだけどな。